10年前のあの角を左
自分の昔話と自ら死ぬことについて 長いです
今はまともに起きて、勉強して、仕事いって、帰ってきて、本読んだりゲームしたり家事して、寝る、という普通の生活ができるようになったのですが
中学に進学した頃、6月あたりから学校に行こうとすると頭痛、腹痛、めまいなど体に不調が出て休みがちになり(今考えればうつ病だったけど病院に行かせてもらえなかったので診断は受けてない)、夏休み以降は一日も学校には行きませんでした
小学校は皆勤で成績もよかったので周りもびっくりしたと思います
学校に行かずに何をしてたかというと本当に何もしてなくて、
夜は眠れないけどさすがに一日半くらい起きてれば眠くなるので眠り、
目覚めても体が動かないので布団の中でボーっとして(ほとんど何も考えられなかったけど考えるのは死ぬこと)、
気づいたら夕方、行動できる時は本読んだり、食欲があればご飯食べて、お風呂入って、布団に戻る…という状況がずっと続いて、気づけば3年になってて、受験シーズンに突入してました
家で勉強してる訳でもなかったので学力もなく、そもそも出席日数足りなくて進学できるのは定時制か通信制、単位制、私立高校しか選択肢がなくて、
父親は私が6歳の時に他界してることもあり金銭的に余裕がなかったので
公立高校の定時制の中から、唯一昼も夜も定時制、という高校を選びました(理由は写真部がある、ということだけだったけど結局写真部には入らなかった)
入学までは通えるか不安だったけどいざ入学すると不登校は嘘のように治り、反動なのか学校自体も久々にする勉強も楽しくて充実した気持ちだった。
(ただ授業のレベルはすごく低くて、九九ができない子もたくさんいて、学力ごとにクラス分けしてる教科もあったけど、小学校の内容がわかれば一番上のクラスに入れた)
定時制に通う人は不登校とか、いじめられっこ、ヤンキー、一度高校を中退した人、社会人、とか事情がある人ばっかり、おばあちゃんなんかもいた
その中で結構年齢は関係なく気の合う人をみつけて、似たように事情がある人たちばっかりだから
なんとなくだけどみんなその中に自分の居場所を作れてたように思う
仲良くなってもすぐ辞めちゃう人も多かったけど。
学校に慣れて、夏休みも明けると同い年の子はみんなバイトし始める。
私も秋から仕事探し始めて、何個か落ちてそのうち採用されて、初めて働くこと、人との話し方、退勤の時には「お疲れ様です」って言わなきゃいけないこととか、色んなことを知った。
労働の対価としてお金をもらえること、そのお金があれば、欲しい物を買えること、
大変だけど、色んなこと教わって、叱ってもらって、それでお金もらえるってすごいことだと思った。
中学の頃は、ここでつまづいて、もうこの先光が見えないって死ぬことばっかり考えてたけど、ああ、学校って狭い世界だったんだ、生きていく道も、学校の外にはあったんだ、と思った
で、だいぶ時間は進んで、今度は統合失調症を発症して、結局高校辞めたり、自殺未遂も何度かするんだけど、
自分語りが過ぎましたが何が書きたかったかというと自殺について。
死を選ぶことについては反対しない(うつ状態、統合失調症がひどかった時は実際死んだ方が楽だと思ったしそれも間違ってなかったと思う)
誰だって辛いのは嫌だし、それから脱出する方法が自殺しかなかったのなら、仕方ないと思ってる。
「死んじゃだめ!生きてたらそのうちいいことあるよ!」という意見は(間違ってるとも思わないけど)世の中にたくさんあるし、
知り合いが自殺しようとしたらきっと私も引き止めると思うけど
それは「死なれたら悲しい」という私の感情なので
いざそう決断したなら仕方ないよね、少しは楽になれたかな、と思いたい
ただ小中学生は例外で、もう少し経てば、働くこと、自分でお金を稼ぐことができるようになるから
そしたら世界は学校だけじゃないんだってことも、そのお金で好きな勉強をすることもできるんだよ、と思っています
自殺について、考えをまとめたくて久しぶりにこんな長い文書きました
10年前に道を間違えたとは今でも思ってるけど
一応今自分の好きなことができてるしまあいいかくらいに思っています
ここまで読んでくれた方、ありがとう